BEATがやってきた

1991年5月に発売されたホンダビート。

軽自動車でミッドシップ、ツーシッターの本格的なスポーツカーです。

発表会には本田宗一郎さんも出席され、開発責任者に
「あんた、いい仕事をしたな」とご満足だったとのことです。
その3ヵ月後の8月に本田宗一郎さんはこの世を去られました。

本田宗一郎さんが世に出した最後の車です。

その当時から興味を引かれていましたが、
二人乗りで、荷物も運べない車は手も足も出ません。

そしてなが~い年月が過ぎ、
今年の8月中旬、新築している家の設計をお願いした建築家が
黄色いビートに乗って建築現場に現れました。

そうです。彼は熱狂的なビート乗りで、年季も入っています。
何時もは真っ赤なビートで、爆音を響かせて走っているのです。

「どうしたんですか、車を替えたんですか」
「ぼくのビート仲間が事情があって手放したいと言っているので、どうかと思って」

彼とちょうど2年前に初めて、事務所でお会いした時、
真っ赤なビートにも初対面しました。

家の話の前にビートの話をひとしきり。
その後会うたびにビートで盛り上がりました。

「手放すときは私に譲ってくださいヨ」

その一言の顛末が、黄色いビートになったのです。

黄色いは、ちょっとこの歳ではヒキますね。
妻も「黄色はねぇ」と難色。

とりあえず、どのくらいか聞いていただくことにしました。

そして、スタットレスタイヤを付けて15万ならと返事をいただく。

安い。
一瞬心が動く。色がねぇー。だけどこれが最後のチャンスかも。

そして数日が経ち、子供達もこの件を知ることになった。

「自分が良けりゃいいんじゃないの、人の目なんか気にしなくて」

でも、いい歳してとか、年甲斐も無くとか、
やっぱし近所の目とかが気になる。

そうなんだよ、そう言う言い訳が心の老化なんだ。
黄色いビートに乗るジィジイがいてもいいじゃん。
自分の心を後押しする。

よし、決めた。建築家のKさんに連絡をする。

そして「乗ってみて良かったら決めてください」と言って、
ビートを置いてった。


しばらく放置されていたので艶はない。


だけど、マニアが丁寧に乗られた雰囲気がある。


いいね。


そして、ホイール、マフラー、バンパーなど「無限」仕様だ。

乗ってみて、
なんと楽しい車だ。今まで経験したことの無いフィーリングです。
自分の体に駆動装置を付けて走っているような感じだ。